【衝撃】自分探しの旅は商品化されている?

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【衝撃】自分探しの旅は商品化されている?

こんにちは!ハクナマタタです。

このブログでは自分探しに関する記事を多数発信しています。

今回、観光社会学という学問の面白い論文がありましたのでわかりやすく紹介していきます!

「商品化された自分探しの旅で、本当の自分(新しい自分)を見つけることができるのだろうか?」

是非考えながら記事を読んでいただけますと幸いです。

論文の概要

著者と論文名について

今回紹介する論文は、人類学/社会学者の大野さんが書いた”商品化される「冒険」――アジアにおける日本人バックパッカーの「自分探し」の旅という経験――“が基となっています。

大野さんはバックパッカーが大好きな人で、今回の論文は以下の本でわかりやすく紹介されています。

事前知識がなくてもスラスラ読めるのと、自分探しについて深く知るきっかけになります。

論文要約

あまり難しい話をするのはこの記事の趣旨とは外れますので、

記事に関連する重要な以下のポイントのみピックアップしていきます。

  • 現代の日本社会は「私は誰なのか」悩まないといけないらしい
  • 「私は誰なのか?」という悩みを解決する手段として昔バックパッカー(冒険)が最適だった
  • しかし、今はバックパッカー(冒険)が商品化されてしまった。

現代の日本社会は「私は誰なのか」悩まないといけないらしい

筆者の大野さんいわく、現代の日本は個人の自律性が社会的に求められる時代らしいです。

個人の自律性とは、自分で責任をもって生きていくと言い換えてもいいと思われます。

だからこそ、自己啓発セミナーやボランティアを通じて自分探しをし、「私は誰なのか」考える人が増加したのです。

「私は誰なのか」という悩みを解決する手段として昔バックパッカー(冒険)が最適だった

以上のような現代の(日本)社会において、自分探しのツールとして注目されたのがバックパッカー(冒険)でした。

当時のバックパッカーはヒッピー・ムーブメントから派生したもので、

「常道をはずれる」「現地の文化に沈殿する」といったマス・ツーリズムとは違った特徴がありました。

そして、それらの行為が自分探しを成功させることができた要因でした(専門用語:アイデンティティ刷新)

一部論文を引用します。

たとえば高容生は観光学の立場からオーストラリアを旅するバックパッカーを調査し,彼らは未知の世界を渡り歩くことにより自己実現を果たし,新たな出会いと刺激の中から他者とは違う自分だけの価値観を獲得すると主張した(高 1998).
「未知の世界」,それはマス・ツーリズムに「汚染」されていない場所への志向であり,換言すれば,高は「常道をはずれる」旅の先にアイデンティティ刷新の可能性を見ようとしたのである.


一方,文化交流学の立場から日本人バックパッカーを調査したのは斉藤聖二だった.斉藤は快楽,痛み,苦悩を感じながら異文化と接触することで自分の居場所を見直し,人生と正面から向き合うことこそがバックパッキングの醍醐味であり,そのような機会を経ることによって「必ず新たな地平が付け加えられる」と主張する(斉藤 2003: 26-43).

斉藤はバックパッキングに伴う「楽しさ」や「苦しさ」という経験によって,いうなれば「異文化に沈殿する」その先にアイデンティティ刷新の地平が開けていると指摘したのである.

商品化される「冒険」――アジアにおける日本人バックパッカーの自分探し」の旅という経験――

以上のことから「私は誰なのか」という悩みを解決する手段として昔バックパッカー(冒険)が最適でした。

しかし、今はバックパッカー(冒険)が商品化されてしまった。

ところが今は、常道をはずれる」「現地の文化に沈殿する」といったバックパッカーのスタイルは主流ではなくなってきたようです…

それは地球の歩き方等のガイドブックの登場により、「常道をはずれる」「現地の文化に沈殿する」といった行為がマニュアル化され安全に楽しめるようになったことが背景にあります。

  • 昔 – 「常道をはずれる」「現地の文化に沈殿する」とは逸脱した冒険で、マニュアルもなければ安全でもなかった
  • 今 – 「常道をはずれる」「現地の文化に沈殿する」とは逸脱しない冒険で、マニュアルもあり安全になった

これはバックパッカー(冒険)が商品化されてしまったことを意味します。

一例を共有します。

たとえばバックパッキングの商品化の典型として,タイ・チェンコンからラオスのフェイサイ~パクベン~ルアンパバーンまでを2日間かけて,メコン川を船でくだっていく「秘境ルート」を挙げることができる(調査日 2004年 11月,1バーツは約 2.7円).

まずバックパッカーは,国境の町チェンコンのゲストハウスで売られているルアンパバーン行きのチケットを 750バーツで購入する.すると翌朝,宿のスタッフが車で国境のイミグレーションまで送ってくれる.

すぐ横のメコン川には対岸のラオス側に運んでくれる船業者がすでに待機しており,個々人が出国手続きを済ませて乗船するとただちに出航.数分でメコン川を渡りラオス側に入ると,川岸に立つイミグレーションの前に船が接岸される.各自で簡単な入国手続きを済ませると,待機していた乗り合いバスが 10分ほど離れた別の船着場まで運んでくれる.

そしてそこに停泊しているボートに案内されて乗り込むと,あとは密林の中を縫うように流れるメコン川くだりをのんびり堪能できるのだ.もちろん途中で一泊するパクベンと目的地のルアンパバーンの船着場には各ゲストハウスの客引きたちが待ち構えているので,バックパッカーが路頭に迷うことはない.

商品化される「冒険」――アジアにおける日本人バックパッカーの自分探し」の旅という経験――

この現状を自分探しの旅をしている日本人はどう思っていたのでしょうか?大野さんの見解を引用します。

商品化していない旅をすることこそがバックパッキングの神髄だったにもかかわらず,きわめて皮肉なことではあるが,日本人バックパッカーはその部分にはまったく重きを置いていない.

彼らの関心は,たとえそれが商品化されたものであったとしても,とにかく冒険的経験を消費し続けることと,それによって自己変革を実感することにある.そこから浮かび上がるのはヤマムロの語りが象徴しているように,商品化された旅に対して不満を募らせるというよりも,率先してガイドブックに身を委ねて,その消費自体を目標にしたり楽しんだりする姿である.

いわばコンピューター・ゲームのステージを一面ずつクリアするような感覚で,「タイ」や
「ベトナム」というような商品化した冒険的ステージをクリアしたり「制覇」していくことが,彼らの旅の真骨頂なのである.

商品化される「冒険」――アジアにおける日本人バックパッカーの自分探し」の旅という経験――

論文まとめ

繰り返しにはなりますが、ここまでのポイントをまとめます。

  • 現代の日本社会は「私は誰なのか」悩まないといけないらしい
  • 「私は誰なのか?」という悩みを解決する手段として昔バックパッカー(冒険)が最適だった
  • しかし、今はバックパッカー(冒険)が商品化されてしまった。

次はいよいよ皆様と一緒に考えていく問いになります!

商品化された自分探しの旅で、本当の自分を見つけることができるか?

これまでの論文を踏まえ私なりに解釈すると…

どうやら自分探しの旅は現在バックパッカーというツアーになっているらしい、そんなツアー化(商品化)された自分探しの旅で本当の自分を見つけることはできるのでしょうか?

という問いができると思います。

私は肯定派ですが、皆さんはいかがでしょうか?

考えるきっかけになれば幸いです!

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