【社会学の視点】そもそも私達はなぜ「どう生きるか」を考えるようになったのか?

※当ページのリンクには広告が含まれています。
※当ページのリンクには広告が含まれています。
【社会学の視点】そもそも私達はなぜ「どう生きるか」を考えるようになったのか? Human Insight

こんにちは!ハクナマタタです。

突然ですが、大人になるにつれて以下のような会話を耳にしたことはありませんか?

人生100年時代どう生きよう?

生きる意味ってなんだろう?

そもそもなんで生きているのだろう?

私も同じ疑問を持ちました… 答えは人それぞれですし、そもそも答えなんてないかもしれない。

ただ別の角度からも疑問に感じました。それは…

ハクナマタタ
ハクナマタタ

そもそも私達はなぜ「どう生きるか」を考えるようになったのだろうか?

という疑問です。

その疑問を解決しようと色々調べていたところ、どうやら社会学がヒントになることがわかりました。

私は社会学の専門家ではないため学術的な根拠は乏しいですが、同じ疑問を持った方の参考になれば幸いです!

疑問の答え

そもそも私達はなぜ「どう生きるか」を考えるようになったのだろうか?

私なりの回答は…

近代化/資本主義の発展に伴い、事前に付与されていた生きる意味が無くなってしまったから

です。

え…?

ハクナマタタ
ハクナマタタ

そうなりますよね…

詳しく説明していきます!

事前に付与されていた生きる意味が無くなった理由

以下では3つのポイントで生きる意味が無くなった理由を説明していきます。

  • 近代/資本主義発展以前は生きる意味が基本的にあった/生きる意味を考えなくてよかった
  • 近代/資本主義の発展に伴い生きる意味を考える自由が生まれた
  • 生きる意味を考える自由が生まれたことで、「どう生きるか?」考えざるを得なくなった

近代/資本主義発展以前は生きる意味が基本的にあった/生きる意味を考えなくてよかった

これは伝統社会や宗教が支配していた時代のことを指しており、人々は

  • 自分の身分/役割が既に決まっていた
  • 死後どうなるかも神の教えにより決まっていた
  • ↑の決まりに基本的に疑問を持つことがなかった。それが当たり前なのだから。

と考えられます。

つまり、生まれたときから自分が何をするべきか、死後どうなるのかそれぞれの社会で一定の答えがあったということです。

キリスト教やユダヤ教等の宗教、人類学や民俗学では神話等と呼ばれています。

確かに科学的根拠は乏しいかもしれませんが、「死んだら三途の川を渡って亡くなった方に会える」と言われたとき「確かにそうなのかな?」となりますよね。

つまり、科学的根拠の有無に関わらず近代/資本主義が発展する前は社会から付与された生きる意味に疑問を持たなかった可能性が高いということです。

ハクナマタタ
ハクナマタタ

簡単にいうと、昔は生きる意味とか考えなくてよかったということです。

近代/資本主義の発展に伴い生きる意味を考える自由が生まれた

しかし、近代/資本主義の発展に伴い従来の価値観が崩れてきました。

「神なんていない!」

「私達の人生は私たちが決める!」

などと考えるようになったためです。

社会学だと以下のように言われています

  • 脱魔術化した現象 by マックス・ウェーバー
  • ソリッドモダニティ→リキッドモダニティ by ジグムント・バウマン

これは近代化に伴う人の移動の増加や資本主義という従来とは違った価値観が社会に浸透したことで、人々が新しい価値観に触れる機会が増えたことを意味します。

私はアラサーですが、よく「上の世代とは違う生き方をする!」と思ったことがあります。

そのような自由な考えは近代化/資本主義の発展と関連があると感じられます。

ハクナマタタ
ハクナマタタ

昔と違って、自分で生きる意味を考えるようになった!

生きる意味を考える自由が生まれたことで、「どう生きるか?」考えざるを得なくなった

確かに、生きる意味を考える自由が生まれたことはよいことだと思います。

しかし、それは「どう生きるか」自分自身で答えを出さなくてはいけないことを意味します

自分探しの旅や自己啓発が流行っているのもこれらの背景があるからです。

これに関して社会学者のギデンズは、「再帰化社会」「道徳性の不在」等と表現しています。

ただ、そんな簡単に答えはでないですよね…

その結果人々は不安になると考えられます(ギデンズは「存在論的不安」といっています)

ハクナマタタ
ハクナマタタ

生きる意味の自由が与えられたけど、さてどうしようか迷う…

ではどう生きるか?

それは2つあると考えられます。

  1. 近代/資本主義発展以前の社会の価値観を大事にする
  2. 自分なりに「どう生きるか」定義して生きていく

詳しくみていきましょう。

近代/資本主義発展発展以前の社会の価値観を大事にする

これは、宗教や伝統的な生きる意味を自分ごと化し日々生きていくということです。

マックス・ウェーバーの表現を借りると「再魔術化」となるでしょう。

ハクナマタタ
ハクナマタタ

生きる意味が付与されている大事さがわかった上で宗教や伝統をみるとリスペクトですよね!

自分なりに「どう生きるか」定義して生きていく

これは私のブログのモットーでもあります。

詳しくは新自己分析論の記事で紹介まとめていますので、是非ご覧になっていただければ幸いです!

ハクナマタタ
ハクナマタタ

どちらかに絞るべき…というより

自分の心地のよいように2つの考えを取り入れていくのがいいと私は思います!

まとめ

これまでの話をシンプルにまとめると次のようになります。

  • 昔は生きる意味を考えなくてもよかった(宗教や伝統的な価値観に人々は従っていた)
  • 今は生きる意味を考える自由が生まれた(近代化/資本主義の発展に伴い)
  • 生きる意味を考える自由が生まれたことで「どうやって生きよう?」と考えざるを得なくなった
  • その答えは、昔の考えや自分なりの考えを取り入れることで見つかるかもれない
ハクナマタタ
ハクナマタタ

皆様のお役に立てれば幸いです!

読書案内

今回参考にした本を紹介します。

少々難しい本が多いですが、解説書等も沢山出回っておりますので参考にしてみてください。

リキッド・モダニティ—液状化する社会/ジークムント バウマン、Zygmunt Bauman、森田 典正
タイトルとURLをコピーしました