【違和感の正体】他者の評価に依存する、自分探しが無意味な理由

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【違和感の正体】他者の評価に依存する、自分探しが無意味な理由

こんにちは!ハクナマタタです。

自分探しをしている人のきっかけは様々だと思いますが、以下のきっかけに当てはまる人はいますでしょうか?

例えば…
  • 周りからみて自分は劣って見えるから、新しい趣味や強み、ブランド品を買うなどして周りから認めてもらいたい
  • 本当の自分を探して転職で年収をUPさせて周りに自慢したい
  • 本当の自分を見つけて、周りから凄いといわれる企業に就職したい

全てに共通していることは、自分探しが成功したかどうかは他者の評価によるものだということです。

今回は、他者の評価に依存する、自分探しが無意味な理由について説明していきます。

他者の評価に依存する、自分探しが無意味な理由

他者の評価に依存する、自分探しが無意味な理由…それは

代替可能性が常に付きまとうため不安になる

からです。

え…どういうこと??

ハクナマタタ
ハクナマタタ

噛み砕いて説明していきます!

代替可能性が常に付きまとう意味

他者に評価してもらうためには、自分が他者とは違うこと→差別化をする必要がありますよね。

周りから認めてもらいたいや、年収UPして自慢するとか、周りから凄いと思ってもらうとか。

確かに、実際にこれらが成功したら他者と差別化したことで承認欲求を満たし、自分探しが成功したのかもしれません。

しかし、それは永続的に続くわけではありません。

例えば…
  • 自分よりも年収UPした人が出てきて、そっちの人ばっかり評価されるようになった
  • 自分が買った高級バックより、ママ友が買った高級バックの方が希少性があって自分のバックに興味をもってくれなくなった

など、他者との差別化で評価される人は常に変わりうる=代替可能性が常にあなたに付きまとうことになります。

言い換えると、常に他者と差別化するために自分探しする必要があるのです。

代替可能性が常に付きまとった結果不安になる理由

代替可能性に対抗し、常に他者と差別化するために自分探しをするとどうなるのでしょうか?

それは、不安になると考えられます (社会学では実存論/存在論的不安といわれています)

なぜなら常に他者と差別化するために自分探しをすることには終わりがないからです。

確かに、「終わりのない旅かかってこい!」という考えも一理ありますが、それでは自分の肉体的/精神的な体力が持たない可能性があります。

一例として、文化人類学者の磯野真穂さんが出版した「ダイエット幻想」を紹介します。

本の概要

毎日の体重測定に疲れたあなたへやせたい気持ちとうまく付き合うための文化人類学からの処方箋。

やせたいと願う人はたくさんいる。でも、どうしてやせたいんだろう? 健康のため? 「かわいい」あるいは「かっこいい」と思われたい? おしゃれがしたい?

理由はいろいろあるけれど、それに人生、振り回されていませんか?

食べること、他者と生きることをあらためて見つめなおす一冊。

ダイエット幻想

次に「終わりのない旅かかってこい!」に限界がある理由について「ダイエット幻想」の内容を参考に箇条書きで説明していきます。

  • 異性や同性から「かわいい」と認められたい。そのためにダイエットをする。
  • そしてダイエットをしたことで「かわいい」と認められる。
  • でも、ダイエットした体型をキープしないと「かわいい」と認められない。
  • そのため、体型をキープする必要がある。
  • 体型をキープするのは簡単なことではない。過度な食事制限が必要だから。
  • 過度な食事制限をしたらどうなるか。それは摂食障害等の問題が発生する。
  • 問題が発生したことで、体型をキープし続けれなくなる。

このように常に他者と差別化するために自分探しをし続けることには限界があるのです。

ではどうすればいいのか?

他者の評価に依存する、自分探しが無意味とわかった今どうすればいいのでしょうか?

他者の評価に依存する自分探しをやめましょう!

というのは簡単ですが、正直心は動きませんよね…

そうではなく、以下の問いについて自分なりに考えてみるといいかもしれません。

周りに認められるために自分探しをすることは終わりがなく不安になるらしいが、それでも他人の評価に依存する自分探しをし続けますか?

ハクナマタタ
ハクナマタタ

自分が腑に落ちる道を進むのがいいと思います!

もっと詳しく知りたい方へ

余談ですが、社会学の本を読んでいるとそもそもなぜ他者の評価に依存する、自分探しをするようになったのか?疑問に思うクセが身につくようになります。

言い換えると、他者の評価に依存する自分探しは現代特有なのかもしれません。その一例として、社会学者リースマンの「孤独な群衆」とボードリヤールの「消費社会の神話と構造」を読書案内として共有しておきます。

どちらも「消費社会」がヒントになりそうです。

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