【社会学の視点】どうせ死ぬんだし、と考えるのは近代特有なのかもしれない

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【社会学の視点】どうせ死ぬんだし、と考えるのは近代特有なのかもしれない Human Insight

こんにちは!ハクナマタタです。

私は人生×ワクワクをモットーに生きていますが、以前は「どうせ死ぬんだし、なぜ頑張っているのだろう」とふと考えることがありました。

そして自分が腑に落ちる答えはなく、無力感/空虚感に襲われる日々が続きました…

ニーチェのいう「ニヒリズム」状態です…

ハクナマタタ
ハクナマタタ

そんな私を救ってくれた本を今回は紹介します!

真木悠介「時間の比較社会学」

はじめに本の概要を紹介します!

著者は真木悠介さん(社会学者見田宗介さんのペンネーム)の「時間の比較社会学」という本です。

本の紹介文を引用します。

原始共同体,古代日本,ヘレニズムとヘブライズム,近代社会-文化と社会の形態によって異なる時間の感覚と観念を比較検討し,近代的自我に特有の時間意識がどのように形成されたかを,自然と人間,共同体と都市,市場と貨幣等々の関係のなかで解明する.近代世界の自己解放の運動の一環を担う比較社会学の深い洞察に満ちた労作.

出典: 時間の比較社会学
ハクナマタタ
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真木さんの本はどれも私の内側に秘めていた感情を揺さぶる内容でおすすめです!

例えば、「自我の起原」

どうせ死ぬんだし、と考えるのは近代特有なのかもしれない理由

次に、時間の比較社会学を参考に、「どうせ死ぬんだし」と考えることが近代特有である理由について紹介していきます。

それにあたり、本を読んだ当時読書感想をFacebookにアップロードしていましたのでその内容を共有させていただきます!


あるあるかもしれないのですが、社会人数年目にもなると

残りの社会人生活、というより人生どう生きようか?

と人生の意味をふと考えることがあります。

ただ考えれば考えるほど、「結局死ぬんだし、、、」と虚無感を感じるんですよね。

(極論「死んでも魂は宇宙に残る」、と言われても「それって宇宙が永遠に残る前提じゃない?」と、結局な無になるじゃん…となんともネガティブな結論になるのです…)

しかし、この虚無感に一筋の光を照らしてくれたのが本書です!

本書では私のような考えは、過去→現在→未来を直線的に繋ぐ時間感覚を前提にしていると指摘しています(時間のニヒリズム)

そしてその時間感覚は近代以降特有の感覚であるとも指摘しています(←ここがビビッときたポイント)

特有の時間感覚である根拠として著者はアフリカの部族の例や近代以前の日本社会の文学等を基に時間の概念を相対化していきます。

この本を読んで気持ちがすっと楽になりました。

私が悩んでいた理由は近代化が背景とわかったためです。

つまり…

”結局死ぬんだし…”というのは確かにそうかもしれないけど、それを悩むのは近代特有の現象だから、悩むだけ損だよ

ということです。

「どう生きるか」については

将来どうなりたくて、そのためにどう生きるか

と近代の時間感覚を前提にするというより、

今、目の前の世界をどう生きるか

と問の設定を変えたほうが良さそうです(マサイの人がすでにヒントを教えてくれた気がする…!)

ハクナマタタ
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このプログはワクワクがテーマですが、ワクワクという自己感情を大切にしている理由はそれが近代の時間感覚ではなく、「今」を全力で生きたいからです!

(マサイの人がヒントな理由は以下の記事から!)

さいごに

いかがでしたでしょうか?

皆様の無力感/虚無感解消に貢献できれば幸いです!

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